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『「日本・スリランカ 未来への出発 スリランカ独立70周年記念」報告』 

 スリランカ独立70周年を祝って当財団は1月9日、記念式典と阿波踊りコンサートを同国国会議事堂、現地最大のホール・BMICHで催しました。
 共催が在スリランカ日本大使館、同国国会、両国の議員連盟、協力に徳島県、在日本スリランカ大使館、キャセイ航空等を得て、「官民一体型」コンソーシアムで実施。ラニル首相やカル国会議長等の現地政界要人、竹下亘議員、小渕優子議員、山谷えり子議員等5人の国会議員も出席し、両催事で約1,000人が集いました。
 国会は日本人初の偉業となる大谷暢順台下の講演(全文掲載)等を行いました。阿波踊りコンサートでは前日に現地学生100人に阿波踊りをレクチャーするワークショップを開催。当日は徳島県鳴門市の阿波踊りコンサート、日本の商材を高付加価値化する当財団制作の映像作品の上映、徳島県の伝産品、訪日観光誘致のプロモーションを行ない、日本の伝統文化とその精神を伝えて、両国のメディアが31件報道したほか、現地国営TV放送の特別番組も放映予定です。


佛教精神を混迷の世界にと講演する台下


国会議事堂での両国議員、台下の記念撮影


現地市民も参加した阿波踊りコンサート


盛況の徳島県プロモーション


映像作品で日本文化を紹介



スリランカ独立70周年事業映像(動画)


日本人の智恵  祭り

大谷暢順台下の国会講演

 本年、貴国が独立七十周年を迎えられるに当り、日本、スリランカのリーダーたる国会議員御一同御臨席の下、その祝典がかくも盛大に擧行されます事、祝着(しゅうちゃく)至極に存じます。又、私は伝統あるこの国会議事堂で、日本人として初めて講演をさせていただく事となり、誠に光榮であります。

 さて、本願寺文化興隆財団とスリランカの交流は約百年前に遡ります。当財団設立者で私の祖父である東本願寺第二十三世彰如上人が佛歯寺(ぶっしじ)に両国の佛教交流を願って燈籠を寄進したのが始まりでした。大戦等で一旦途絶えますが、一九九八年、私が佛歯寺に参詣してこれを再開します。

 二〇〇六年には、インド洋大津波によって多大な被害を受けたスリランカの犠牲者追悼と遺族の精神復興を期して、津波追悼施設「津波本願寺佛舎」をヒッカドワに建立し、貴国に寄進しました。この大佛は「バーミヤンブッダ」として後年、スリランカ政府認定の聖地となり、今も国際的な崇敬を集めています。

 その後、世界遺産アヌダーラプラの佛教遺跡の修復助成等に続き、二〇一一年、日本、スリランカ両国政府の依頼により、佛歯寺の国際佛教博物館日本館を、日本佛教を代表して開館しました。二〇一二年には、日本・スリランカ国交樹立六十周年中心事業として、日本外務省の要請により、京都の伝統工芸品を展示したほか、二〇一四年はスリランカ初の狂言上演を行い、日本国外務大臣と在スリランカ日本大使から当財団に感謝状が授与されました。

 又、昨年は在スリランカ日本大使館との共催で、和太鼓とスリランカの伝統音楽が共演する津波犠牲者追悼コンサートも行い、こゝにおられるカル国会議長にも出席いただきました。

 さてスリランカ、日本、両国共に佛教国として、長い歴史の中で、各々文化を培って来ましたが、今日では、政治革命、産業革命の経験を経て、科学の長足の進歩を遂げた西欧文明・文化の感化を蒙けて、世界中が一律の経済、政治、社会、外交等のシステムに包含されるようになりました。然るに、多くの地域、国家等で?々内部の融和が保たれず、各地で紛爭が頻発しています。

 抑々(そもそも)西洋文明は、千三百年代、イタリヤから始まるルネッサンス運動が継承されて今日に至っているのですが、これは逼塞(ひっそく)した中世社会から解放されて、文芸を再生させようとの提唱でした。それは教条主義を離れて人間性を恢復(かいふく)する欲求でもありました。

 人間が何事にも煩(わずら)わされず、自由に考える。そこで人間の三つの心的要素とされる知・情・意の中で、知、即ち理性は、他の動物と異り、人間にのみ付与された特性である―と考えられて、それ以来、人間は理性を駆使して科学のあらゆる分野で限りなく進歩しました。

 そしてその理性を備えた立派な存在である人間は、各々自由に個人の知性を昂(たか)めて行くべきであると考えられるようになります。

 人間は社会や国家等、自身を取巻く共同体の中にありますが、それよりも上位に立つという個人主義の思想が生れました。更に昨今では「個人の尊厳」などという言葉が、頻りに叫ばれるようになっています。

 知・情・意の中で、感情や意志は抜きにして、理性にのみ頼ろうという考え方から、合理主義、実証主義が生れたのでしょう。科学はそれで長足(ちょうそく)の進歩を遂げましたが、同時に、この合理主義、実証主義に基いて、中世とは全く異なった社会構成を人間は考えました。それが自由、平等思想に基く民主主義であろうと私は思います。法律、政治、経済、教育、その他社会生活一切の分野が制度化されました。

 科学の進歩のお蔭で、便益性は瞠目(どうもく)すべく、生活は限りなく向上して行きます。又この科学によって、世界的に情報化が確立し、新聞、TV、インターネット、イーメール等の媒体で情報は瞬く中に世界中を駈け巡ります。それで全人類が知識を共有し、それが画一化されます。

 さて、こうして思考が画一されると同時に、人間の行動も亦(また)画一化されます。貨幣経済が社会の凡(すべ)ての分野に定着している為に、一切の勞働は金銭評価されます。勞働時間も夫々の国が規定して(例えば一日八時間勞働とか)、人口の大部分の成年層が、粗(ほぼ)同一時刻に出退勤を繰返しています。其の他、数階の住居用ビルディングやスーパーマーケットが全国的に建てられて、つまり人口の殆どの所帯が互いに類似の衣食住生活を過すようになりました。

 従って、個人主義に基(もとづ)いて、人間各々概(おおむ)ね無制限の権利を保障されていて、社会で充分に個性を伸ばし、個性を発揮できると言っても、与えられる仕事の質・量共に、全国民的に粗均等であり、又(また)生活も粗(ほぼ)皆均一であれば、個性の育成は容易に達せられないではありませんか。又その個性が適正に評価される機会も亦(また)多くないと言わねばなりません。

 又、凡(すべ)て理性を本として、社会機構の一切が一分の隙もなく完成されていますから、最早(もはや)個性がそれに関与する余地がなくなったと言えます。ですから、その中で、我々は、人間的、個人的、感情を抑(お)し殺して、客観的に、普遍的或いは一般的に、冷静に人間関係を築いて行かねばなりません。冷静は結構ですが、それがしばしば冷酷に堕してしまっています。

 つまり個人的、私的判断は差控える事が求められています。普遍妥当的と言っても、結局は法律、其他、国家や社会で予(あらかじ)め取極められた規則に準じて、決定、行動する必要が求められるようになりました。

 こうなると、理性・知性と言っても、それは最早(もはや)個人々々のそれではなく、公共の理性です。要するに法律のそれです。考慮されるべきは、特定の物事や人ではなく、常に不特定多数が対象となります。

 従って人間は物事を唯(ただ)機械的、準則的に行えばよいとされて、そのように行為する限り、その結果に対して責任を持つ必要がなく、こうして無責任主義が横行するようになってしまいました。要は現代人には、感情も意志も不要で、或いは邪魔で、時には肝心の理性さえも要らないというような、奇怪な状況に立至ってしまったのです。

 そこで、こゝ迄私の述べて参りました事の結論を申上げます。西ヨーロッパには千三百年以降、あらゆる分野で固定化された中世社会から、人間を物理的(生理的)にも精神的にも解き放って、人間性を、即ち人間の能力を自由に発揮させようという運動が湧き起っています。

 その西欧人達が十六世紀頃から全地球に進出して、世界中がこの西欧文明に同化される事となります。つまり西欧的近代が地球全体を包括して、政治、経済、司法、教育等人類活動のあらゆる分野がこの近代化の名の下に整備されました。ところがこれが豈図(あにはか)らんや西欧近代が葬り去った筈の人間社会生活の完全な固定化に逆戻りしてしまったのです。

 人間性の発揚を期待して出発した近現代は、気が付いてみると今ではそれが人間性疎外となりました。個人の個性が礼賛されるべきであったのに、それが却(かえ)って圧殺される事となりました。

 全く奇怪な事態であります。人間の理性を際限なく発展させて行く事が、普遍妥当性、客観性を追及する事となり、それが感情、主観、特殊性、つまりは個性を発揮する自由を奪ってしまうという結果となったのです。

 さて、こゝで日本の文化を見ますと、源氏物語に代表される、平安時代の多くの「物語」は、実に人間性の目覚め、発見を示しています。尤もその濫觴(らんしょう)は万葉集、更にはもっと遡(さかのぼ)って、古事記などにも認められます。

 唯(ただ)その人間性発見は、西洋の人間主義と違って、言而(いわゆる)心情的であったと言えます。日本の文学は概して抒情的傾向が強く、平たく言えば、西洋の理性的であるのに対して、我国は感情的又は感性的でありましょう。

 又平安文学は、「ものゝあはれ」を求めて行きます。「もの」即ち自然、対象と、「あはれ」即ち人の心が融け合った中に、ありのまゝに心情が吐露される―と言ったらよいのでしょうか。

 更に日本人とスリランカ人の精神について考えたく思います。スリランカの佛教寺院には、多くのヒンドゥー教の神が祀られています。異なる宗教であるヒンドゥー教と佛教、そのどちらも排除しないスリランカ人の心性は、日本人の、森羅万象を神と崇める古来からの信仰である神道と、外来宗教である佛教を融合させた神佛習合の思想と酷似しています。

 又両国民の自然観も共通点が少なくありません。稲作を中心とした農耕民族である日本人とスリランカ人は、西洋のように自然を対峙して征服すべき存在と考えません。自然は人に恵みをもたらす一方、津波や台風、地震等、刃(やいば)を向ける存在であると認めつゝも「自分自身も自然の一つ」と自己をその中に合一化させる思想を育んできました。

 これは、農村共同体の中で培われた異なる宗教や存在を対立、排除しない佛教信仰に基く多元的価値観が背景となっています。即ちありのまゝの人間の姿、美しい面も、醜い面も、素直に受け入れ、見つめて行こうとする佛教の教が両国民の精神の礎となり、融和の心によって人間性をより昂めて来たのです。

 最後に私が皆様に訴えたいのは、ルネッサンスが目指しながらも、近代西洋思想で頓挫(とんざ)した人間性、情と意、感情と意志を恢復すべし、と言う事です。そこには、我々が佛教思想によって培ってきた伝統の精神が役割を果すべきであると確信します。今こそ、世界にこの誇るべき両国の、我々の精神を伝えて行こうではありませんか。

 この式典にお集まりの皆様は日本、スリランカ両国の舵取り役であり、世界の繁栄を期して活躍されているリーダーです。貴国独立七十周年を祝うに当って、日本、スリランカ両国で培ってきた世界に誇るべき思想が、混迷を極める今日の国際社会の一筋の光明とならん事を願いつゝ、私の講演を終らせていたゞきます。

《終り》