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第2回議員懇談会

 大谷暢順台下は6月11日、第2回国会議員懇談会を参議院議員会館で行いました。台下は、約20人の衆、参両議員に「もののあわれ」「神佛習合」の思想等から日本の文化や精神を説明した後、国際情勢を交えながら、今の国のあり方について提言(次に全文掲載)。議員との質疑応答では、日本人の宗教観や思想等と時事問題を絡めて主権国家たる日本のあるべき姿等で闊達な議論が繰り広げられました。
 最後に出席者から「台下のお考えを我々が心に刻み、どう政治に活かすかが問われている」等の発言も寄せられ、有意義な意見交換となりました。


衆、参両議員に日本文化を語られる台下
  衆、参両議員に日本文化を語られる台下




【大谷暢順台下のご講演】

 昨年に続いて国会議員の先生方と、日本の文化、精神、そして、日本の将来について、忌憚なく話し合う交流の場を設けて下さいまして有難うございます。では、お話させていただきます。
 日本文化は日本歴史の誕生と共に発生し、育成されて来ました。日本歴史の肇(はじめ)を神武天皇とするのは一応理に適(かな)うでしょうが、私は伊耶那岐・伊耶那美命の事績(じせき)の詳細に語られている古事記に基いて、寧ろこの二柱の神以来、二千数百年の歴史を持つと考えます。この長い歳月、単一の大和民族が国家を形成して、日本文化を護り育てゝ参りました。これは世界中、他に類例を見ない大盛事であると思います。
 世界に目を向けて見ますと、エジプトとかインド等、我国よりもっと長い歴史を誇る国々は少なくありません。けれども、例えばエジプトは、マケドニヤのアレクサンドル大王によって、次でローマ帝国に、更にイスラム教に亡ぼされました。又インドについて言えば、全大陸が統一国家と成り得ない時代もありましたし、その中、十四世紀来ティムールによって侵略された後、ムガール帝国となり、その後イギリスの植民地となり、第二次世界大戦でようやく独立を恢復しています。この他アンデス地方一帯で形成されたインカ帝国は、十六世紀、イスパニヤ人達に亡ぼされて、再び興国しそうな兆候は見られません。これ等の国々を顧みるところ、假令(たとえ)夫々の歴史は古くとも、その同一性とか、一貫性については、截然(せつぜん)としないと言わねばなりません。
 ですから比類なき歴史と文化を持つ我々は、世界に向って、それを堂々と誇るべきではないでしょうか。

 現在、我国の世界遺産は文化遺産、自然遺産を併せて、姫路城や富士山等、計二十一件が認定を受けています。然し、私は日本の歴史、文化全体こそが世界に誇るべき一大世界遺産であると思います。そして、之を誇りを以て守り、育て、世界に伝えるのが、人類の未来の為の我国の責務であると考えます。
 然るに近年、日本人の自虐性が往々にして指弾されます。一体どうしてこのような事態が起ったのでしょうか? この為、日本文化の基底を成す日本人の思想が、今危機に瀕しています。
 昭和廿年、アメリカ軍が日本全土に進駐し、マッカーサー元帥の司令部・GHQが、国の施政権を掌握して、その後数年間は、独立国としても認められなくなりました。国史始まって以来の屈辱でした。その年の八月十五日を以て、神国と謳(うた)われた日本の歴史は、その幕を閉じたと言っても、極言ではないでしょう。そして新しい歴史、それも恥に塗(まみ)れた苦悩の歴史が始まったのです。
 昭和廿年の日本は、明治以来の正義感、国是を、一切否定すると共に、過去の凡てを謝罪するよう強制されました。元来、戦敗国は戦勝国に、領土を割譲するとか、賠償金を支払って、戦争終結とするのが、国際慣習であったのに、第二次世界大戦後、敗戦国はその尊厳迄否定させられたのです。
 アメリカ軍占領下、日本は、一から十迄GHQの命令を実行する外ありませんでした。唯々働いて、何としても食糧を確保する事でした。粗(ほぼ)十年間程の堅忍不抜の奮闘は、徐々にその実を結んで行きました。
 その後の日本は一向(ひたすら)経済成長に驀進(ばくしん)し続けます。そして気が付いて見ると、世界第二の経済大国になっていた―というところでしょうか。戦中戦後を生きて来た私のような年代の者にとっては、「全く夢のようだ」「信じられない」という気分です。

 然しこの儘我々日本人の生活は向上するのか、富裕化し続けると思ってよいのか―という事を、立止って、篤と考えるべき時ではないでしょうか? 終戦後今年で七十三年目になりますが、その間専ら経済発展に努力して来て、一旦世界第二の経済大国になりました。然し今その地位は中華人民共和国に奪われてしまいました。これをもう一度奪還しよう等という声は、国内では一向擧っていないようです。日本には目下これといった目標はなくなった感があります。
 現在、中華人民共和国は、東支那海、南支那海で、示威行為を数年来行っています。この国が尖閣列島領有(即ち侵略)の意図を隠そうともしていない現状であります。
 又韓国は、終戦後間もなく竹島に上陸し、今も不法占拠し続けています。ロシヤは北方四島を容易に我国に返還しそうにありません。北朝鮮に至っては、数百名の邦人を拉致しています。
 ヨーロッパには、十八世紀に、ロシヤ、プロイセン、オーストリーの三ヶ国でポーランドを分割、滅亡させた歴史があります。我国もこれ等アジヤ四ヶ国に、分割される危険がないとは言えないでしょう。

 これ程迄足許に火が点いていながら、今日我国の将来に危機感を抱く日本人が少ないのは何故でしょうか。佛教説話の中にこんなお話があります。或街に長者がいました。長者の家はとても大きいのですが、そこに出入りするには小さな門が一つしかありませんでした。或時長者が仕事先から帰ってみると、大変! 家が火事です。それなのに燃え盛る火の中で長者の子供達三人が無心に遊んでいるではありませんか! 長者は慌てゝ「おーい、すぐ出ていらっしゃい! そうでないと君達焼け死んでしまうよ!」と叫ぶのですが、子供達は耳を貸しません。長者は困ってしばらく思案しました。そして「そうだ、あの子達は以前から夫々に羊の車、鹿の車、牛の車を欲しがっていた。」と思い出し、「おーい君達、門の外に以前から欲しがっていた羊の車、鹿の車、牛の車があるぞ!」と叫びます。それを聞いた三人の子供は、大喜びで、我先にと門から走り出て来ました。けれどもそこには、玩具(おもちゃ)の羊、鹿、牛の車ではなく、本当の立派な大きな車があって、子供達はお父さんの長者と一緒にそれに乗って、安全な場所へ避難できたというのです。
 言う迄もなく、これは佛様を長者に、我々人間を子供達に準(なぞら)えた説話です。そして今の日本は、当に燃え盛る火の中にあると教えているのです。

 昭和初期から我国は、アジヤの平和、大東亜共榮圏建設の正義感に憑(つ)かれて、満洲事変、支那事変、大東亜戦争と、戦に明け暮れましたが、これが敗戦となり、進駐してきたアメリカ軍によって、我々の正義と思っていた事が、とんでもない犯罪である、と大喝(だいかつ)された謂です。GHQの日本人洗脳政策は、強引、悪辣、執拗を極めました。日本人は本来律儀ですが、又愚直でもあります。それに有史以来外国の桎梏(しっこく)を蒙けた事がないので、この事態でアメリカの支配を要領よく躱(かわ)す術を知りませんでした。
 つまり、アメリカ軍の占領政策は、日本人の愚直さ、人の好さを逆手に取ったのです。今日でも、昭和廿年以前の日本が、取返しのつかない過ちを冒したと、罪の涙に暗れている人に出会す事があります。彼等の言い分は次のようです。
 「日本は戦争犯罪国である。それに対し、これを打破った旧聯合国・戦勝国は、嘗て日本の海外領土であった朝鮮も含めて、皆正義の国々である。従ってこれ等海外近隣諸国には、一向(ひたすら)恭順でなければならぬ。そしてこれ等諸国は常に正義であって、決して過ちを冒す事はない。」

 どうしてこんな考え方ができるのか、と私は種々と考え倦(あぐ)んだ結果、これは間違った正義感の結果だと気付きました。正義の戦を信じて大東亜戦争を戦った日本を打破って、これを占領支配したアメリカが、万策を弄して日本人洗脳に成功したと申しましたが、そこで日本人の正義感が、つまり百八十度転換してしまったのです。極端から極端に走って、それ迄誇として来た光榮ある二千数百年の歴史を、今度は自ら徹底的に誹毀(ひき)し始めたのです。
 嘗ては我々の国民精神を高揚するのが正義でありましたが、戦後はこれを貶損(へんそん)する、平たく言って、悪く言うのが正義と考えられるようになりました。これは政治、教育、のみならず、風俗、習慣等、社会生活のあらゆる分野に迄及びました。
 然しGHQの力で押さえつけられたのですから致し方ありません。但しそういう事は、表面上取繕っておけば、何とか凌いで行けた筈です。何時迄も米軍駐屯が続く謂ではないのですから。昭和廿六(一九五一)年、サンフランシスコ講和条約が結ばれ、日本の独立は認められ、GHQの統治は終了し、駐留軍の大部分は本国へ引揚げました。

 それにも拘らず日本は、GHQの残した教訓を拳々服膺(けんけんふくよう)、政治、教育、経済体制、社会制度其他の分野に於て、これを維持し続けて今日に及んでいます。進駐軍が起草して、我国に押し付けた憲法は、国際的にも、国内的にも、時代の推移によって、まるで時代遅れになっているのに、後生大事に、七十三年も護り続けているのです。
 現在の日本と日本人は、こういう痛ましい状況下にあります。随分これに対する歎きの声も擧っています。然しどうしたらこの状況から抜け出せるか分らない、というところでしょう。何故ならば、依然としてこういう明らかに誤った正義感に拘泥しているからです。終戦の昭和廿年迄、国民が心酔していた盡忠報国思想と同じく。否それよりも、もっと錯誤した正義感です。

 ところで、数世紀の歴史を持つ西洋の近代思想が継承されて、それが今日では概ね全世界の思想となりましたが、その中核となるのは善悪二元論と言えるかと私は思います。この二元論は同時に性善説、人間の性質は本来善良である、という考えでもあります。従って人間の行動は凡て善であり、又善であるべきだ。悪は絶対に排除されなければならないという正義感が生れたのかと思われます。
 ところがこの正義感は得てしてファナティック(熱狂的、狂信的)になり勝ちである。それが結果的に、社会、国家に大きな不幸を齎(もたら)す。その事例が悲惨な終末を招いた大東亜戦争だったのでしょう。正義という言葉は、往々にして人々を陶酔させ、盲目にする危険を孕んでいます。

 我々は常に世界情勢を分析検討し、実現性を冷静に判断すべきところを、現実を見ようともせず、矢鱈、浅慮の、倒錯した正義を振り翳していては、必ず手痛い苦杯を嘗める事となるでしょう。―国会議員の先生方に、釈迦に説法で大変失礼致しました。 
 然しこれは日本国民挙げて、今後進むべき道をよくよく思慮せねばならないと思って申したのであります。二千数百年続いた日本の歴史を、我々の手でその幕を閉じてはなりますまい。
 日本の国家の行為は、過去も現在も悉(ことごと)く悪であり、東北アジヤ近隣諸国に、どこ迄も謝り続けなければならないとする正義感倒錯症から早く目を覚すべきです。
 とは言え、これとは反対に、広島への原爆投下以後のアメリカの対日政策に憤懣を露わにしたり、或いは逆に近隣諸国の理不盡な言動に悲憤慷慨したりする人々も見かけますが、これも如何なものでしょうか? 何故ならこの自虐性も、外国嫌悪も、共に何の成果も産まないからです。反米感情はアメリカに不信感を抱かせるばかりであります。他方近隣諸国の日本国民拉致・抑留や国土侵犯、内政干渉は、実は日本人の自虐態度が誘発しているのです。何れも正義感とは言い難く、単なる偽りの正義感への陶酔です。

 本来悪事は、その悪事を行う者よりも、悪事をさせる者の方がもっと悪いと言えますまいか? 「味を占める」と言いますから、相手に味を占めさせないようすべきでしょう。フランスの諺にL'appetit
vient en mangeant.というのがあります。「食べれば食べる程、食欲が増す」とでも訳したらよいのでしょうか。又Chacun pour soi et l'idiot pour tous.という諺もあります。直訳では意味が通じ憎いので、「銘々(めいめい)、自分自身の事にかまけていればよい。だが、薄鈍(うすのろ)はみんなで使おう」と言ってみました。
 東北アジヤ隣接諸国にしても、アメリカにしても、先ず自国の利益を優先します。ところが日本人は徒らに自国の卑下に勤めている―となれば、自然、日本を苛めて、そこから様々の利益を引出してやろうという事になろうではありませんか。

 戦後七十三年間、日本人は経済面では奇跡の国家再建を果しました。然し精神文化については、確かに歳月を空費したと言わざるを得ません。
 今や日本人は日本と日本人自身への自信を恢復せねばならない時です。二千数百年の歴史を省みる時、些かも劣等感など抱く根拠はない筈です。日本人は聡明(そうめい)な民族です。日本人は二千数百年前の国の肇(はじめ)以来、只管(ひたすら)文化を、即ち日本の心を養い育てゝ来たのであります。我々は初心に復って、この心を再発見し、育成して行こうではありませんか。