大谷暢順東本願寺東山浄苑苑主(本願寺法主、当財団理事長)は平成23年4月8日、東日本大震災で未曽有の被害を受けた宮城県に向け、浄苑と本願寺眞無量院の職員による使僧団を派遣しました。一行は、仙台市と同県の災害対策本部、県警の協力を得て、県内の遺体収容所等を巡拝。3日間かけて約1、000体の遺体に読経するとともに、避難所に2,000輪の念珠等を届けました。また、同県の浄苑壇籍者に大谷苑主の親書(別掲)と、参詣者等から寄せられた見舞金を手渡し、被災地で追悼法要を厳修しました。
平成23年3月11日に発生した国難である大震災に対し、大谷苑主は震災日から毎日、嘉(か)枝(え)堂本堂で犠牲者追悼法要を執行。春彼岸中には参詣者や浄苑職員、有志から見舞金を募り、1日も早い復興を念じていました。さらには、地震による犠牲者を出した東北、関東の壇籍者約1,500人に浄苑と有志からの見舞金を送ることにしていました。
その一方で、大谷苑主は犠牲者の葬儀がままならない状況を鑑み、浄苑と本願寺眞無量院職員による使僧団を結成し、被災地へ派遣することを決定。併せて、避難所生活を余儀なくされる遺族の要望に応え、念珠やロウソク、線香等を届けることとしました。
また、他の市町村に先駆けて仙台市に支援本部を立ち上げた門川大作京都市長から、「自己完結能力」「事務処理能力」と言った被災地ボランティアに求められる条件を聞き取る等の準備も進めてきました。
3月31日には使僧団派遣式を全職員参列の下、嘉枝堂本堂で執行。大谷苑主は親書や見舞金、念珠等を使僧団一行に託し、「犠牲者を追悼し、遺族に佛法の光明を」と述べて一行を送り出しました。
山形経由で仙台入りした一行は、仙台市役所、宮城県庁、宮城県警、そして、京都市の災害対策本部を訪れ、今回の巡拝への協力を求めました。
宮城県警によると、県内の遺体総数は7,431体(4月3日現在)。そのうち、身元不明となっている遺体1,792体を仙台、石巻、女川、気仙沼等にある18の安置所に収容し、身元確認と遺族による引き取り作業にあたっています。
一行はまず、175体の遺体を仮安置する宮城県利府町のセキスイハイムスーパーアリーナに向かいました。県警の特別配慮により、身元不明の遺体を納めた棺(ひつぎ)の前で追悼法要を勤めるとともに、遺体確認に訪れる遺族にと、念珠、ロウソク、線香を県警に手渡しました。法要には対策本部職員等も参列し、県警から「温かなお心を必ず遺族の人たちへ伝えます」と感謝されました。
続いて、一行は宮城県石巻市へ入り、避難中だった100余名の児童の7割が死亡あるいは、行方不明になっている大川小学校を訪れました。北上川堤防に隣接する校舎一帯は、見渡す限り広がる黒々とした瓦礫と汚泥の山。子供たちの長靴や机、文房具等が散乱するという目を覆う惨状に茫然自失しながらも追悼法要を営み、供花を手向けました。
附近は水はけが悪く、遺体捜索が今も難航している地域。一行が小学校に到着した直後も成人の遺体が発見されたところでした。
今回の巡拝で惨状を極めたのは、合計800余体の遺体が安置されている旧石巻青果花き地方卸売市場と東松島小野地区体育館。避難所が隣接しており、遺体を確認して泣き崩れる遺族の眼前で読経すると、遺族から「お坊さんの炊き出し等はあったが、お経をあげてもらえたのは初めて」との言葉が涙ながらに寄せられました。
一行は、親鸞聖人の和讃にある「恩愛(おんない)はなはなたちがたく 生死(しょうじ)はなはなつきがたし 念仏三昧行じてぞ 罪障(ざいしょう)を滅し度(ど)脱せし」に思いを馳せ、生死(しょうじ)の別離(わかれ)にともに涙しつつ、念珠等を遺族に手渡しました。
日没したため、遺体収容所の石巻北高校飯野川校の校門前で、この日最後となる追悼法要を勤め、仙台市内へ帰投しました。
翌日、一行は同県の浄苑壇籍者である赤塚寿勝さんと合流し、約300体の遺体が流れ着いた仙台市若林区荒浜の海岸で追悼法要を厳修しました。一帯は凶器と化した津波の破壊力によって、アスファルトの舗装すら剥ぎ取られた地域。大谷苑主と東本願寺東山浄苑護持会からの佛花を供えると、近隣の住民たちが次々と参集してきました。
追悼法要では赤塚さんをはじめ、住民による献花、大谷苑主による親書の奏上、見舞金の手交、法話と続き、一同は佛法による心の復興に願いを寄せました。赤塚さんは「これだけきめ細やかな対応して下さり、有難い」と深々と頭を下げ、大谷苑主に感謝しました。
最後に、一行は巡拝の協力を得た県警を訪問、被災者への念珠等を託し、帰洛しました。
身元不明の遺体の前で勤行
各地で勤行 2,000輪の念珠、線香等手渡す
多くの児童が犠牲になった大川小学校前
壇籍者へ大谷苑主の親書を手交
供花をし、市民とともに合掌