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第13回蓮如賞記念公開シンポジウム基調講演 クールジャパン 日本人の智慧

財団法人本願寺維持財団(当時:現一般財団法人本願寺文化興隆財団) 理事長
大谷 暢順


大谷理事長による基調講演の様子
 当財団は文学の振興から日本文化を国内外で高揚すべく、多彩な公益文化事業の一環として、ノンフィクション文学賞「蓮如賞」と、フィクション文学賞「親鸞賞」を主催してきました。
 いずれも「日本人の心」を深く考察する作品に授与する、京都発の唯一の文学賞として、実績を重ね、大きな反響を呼んできています。
 又、他の文学賞とは異なり、受賞式だけではなく、我が国を代表する碩学(せきがく)の選考委員と受賞者によるシンポジウムも開催してきました。
 皆様にはご多忙の中、ご列席をいただき、ありがとうございます。
 皆様とともに日本文化を再考し、日本人の叡智、智恵をこの京都から世界に発信していきたいと思います。

「クールジャパン」の現状

 近年、日本の特色ある商品やサービスを「クールジャパン」と称して海外に紹介し、我が国の経済成長に繋げようとする動きが活発化しています。当初はアニメや漫画、ゲーム、ファッション等でしたが、現在は食や地域産品、観光にまでその分野が拡がっているようです。
 私自身は「クールジャパン」と言う表現自体、あまり好ましくないと考えているのですが、そもそも「クールジャパン」は「素敵な日本」という意味ですが、この「クールジャパン」には、日本の文化や日本人の精神が伴っておらず、経済至上主義に走る傾向が否めません。
 大体、自国の魅力、素晴らしさを他国に伝えるには、その国の文化や思想、精神は不可欠です。今のままでは、「佛作って魂入れず」で、表面的な紹介に留まり、真の日本の魅力を伝えきれません。また、肝心の日本人自身が日本の文化や日本人の精神を理解できていないことも大きな問題でありましょう。
 そこで、財団法人本願寺維持財団では、日本の文化、日本人の精神を明らかにし、国内外で昂揚(こうよう)する事業に昨年度から取り掛かりました。フランスやスリランカ等で文化展を開催し、この東本願寺東山浄苑でも野村万作さんや萬斎さんをお招きしてシンポジウムを開催したりしました。
 さらに、当財団の日本の文化や精神を伝える取り組みがこのほど、日本国外務省との共催事となり、経産省の「クールジャパン」事業にも採択されました。来年二月にはパリ、スリランカで多彩な文化事業を展開するほか、「クールジャパン」の基底を成す日本文化や日本人の精神をDVDやウエブにして、日本国内はもとより、全世界へ発信します。

東日本大震災と日本人

 今回は、その一端となる日本人の精神の淵源(えんげん)、美意識についてお話したく思います。
 さて、二万人近い死者と行方不明者を出し、人類史上、未曽有の惨事となった平成二十三年三月十一日の東日本大震災ですが、東北地方は壊滅的な被害を受けましたが、二百ヵ国を超える海外支援もあって、復興への着実な歩みを進めています。
 震災後の日本人の言動、復興への混乱なき道程に世界中から多大な称賛が贈られました。海外の有識者やマスコミからは「日本の行動は人類の誇りであり、世界にとって意味がある」「人に迷惑をかけない、日本人の崇高な常識が社会の混乱を防いだ」「どんなに苛酷な状況でも個人は集団を離れず、集団は個人を保護する」とのコメントが寄せられました。
 また、震災後の日本人の様子を、海外のメディアは、「肉親や友人を奪われても大声で泣くことが少なく、静かに運命を受け入れる」と驚きをもって報道しました。悲しみと絶望の淵をさまよいながら、気丈に振る舞う日本人。耐え難い辛苦にも屈しない崇高な精神に注目が集まる中、あらためて明らかになったのは、日本人独自の自然観、死生観、無常観でした。
 日本人にとって、自然は西洋と異なり、対峙して征服すべき存在ではありません。また、共生するのでもなく、「自分自身も自然の一つである」と考えます。自然は恵みをもたらす一方、津波や台風、地震等、刃(やいば)を向ける存在でありながら、自己をその中に合一させる独自の思想を育んだのです。
 また、森羅万象を八百万(やおよろず)のカミと崇める日本固有の信仰である神道に、外来宗教だった仏教を融合する神仏習合の思想が生れ、日本的な無常観を創り出します。元来、インドで生まれた仏教の無常観は、すべてのものがうつり変わり、やがて滅していく、そうした自らの思い通りにはならない「苦しみ」から脱する思想でした。
 ところが、日本ではインドの無常観に、「つかの間で、もろく、長続きしない」と言う意味の「はかなさ」を美とする感性が加わります。目の前に広がる美しくもはかない自然のうつろい、限りある生命、有情の生々(せいせい)流転(るてん)にもあらがうことなく、身を任すことが大切であると考えたのです。
 そして、ありのままを受け入れる暮しの中で、人の生死を含めてあらゆるものがあるがままの姿であることを真実とし、至高とする美意識が培われます。こうして、日本人は予測不能な自然の猛威にも自身を合一させて調和し、現実を肯定して前向きに受け止める、強靭な智恵を身に付けたのです。
 また、諸外国は冷静且つ着実に復興へ向かう姿に対しても「日本から学ぶべき」と絶賛しました。その評価は「日本人には真に高貴な忍耐力と克己心がある」「最も困難な試練に立ち向かうことを可能にする『人間の連帯』が今も日本に存在する」等々。
 同時に「救出された際、『有難うございます』ではなく、『申し訳ありませんでした』と頭を垂れるのはなぜか」と日本人の言動の背景にある精神性を探ろうとする声も寄せられました。

「和の精神」と日本

 人間が共存、調和するための智恵、さらには、暴動が起きるどころか、被災者が逆に支援者を気遣う日本人のこころは何によって育まれたのでしょうか。それは、聖徳太子が定めた十七条憲法第一条「和を以て貴しと為す」、すなわち「和の精神」でした。
 聖徳太子の思想は、「我も人もともに煩悩(ぼんのう)をかかえ迷い続ける凡夫(ぼんぷ)に過ぎない」という仏教による自己の内省(ないせい)と仏の慈悲(喜びを与え、苦しみを除く心)が核になっていました。この精神は自己中心的ではなく、他者や周囲に思いを寄せ、連携していく眼(まなこ)を開きます。
 そして、謙虚さと自然を含めた周囲への気遣い、全体の調和を第一義とするこころを身に付けたのでした。
 それ故、「和」を尊ぶ精神から日本人は激しい自己主張を控え、時として自らの意思を隠したり、まずは他者を気遣い、頭を下げる言動をとってきたのです。
 これは文学、芸術にも影響を及ぼしました。表現を明白にせず、受け手の主体的な発想に任せて余白や間を生かす技法をあみ出し、能の世阿弥が生み出した「秘すれば花」の世界に辿り着きました。
 取り外し可能な襖や障子だけで仕切る日本家屋の構造にもこの思想が象徴的に見られます。西洋のように独立した部屋で遮るのではなく、自在に空間全体を使います。これも他者を含めた周囲と融合する世界と言えましょう。
 一方、この思想は、確固たる自我を持たず、自立性に乏しいと欧米から不可解に見られる場合もありました。しかし、物事を討論する際に生まれる「怒り」にまかせれば、異なる意見とは平行線を辿り、深刻な対立と抗争を生むばかりです。
 「日本以外の美術は必ず何らかの形で闘争があるが、日本美術だけは闘争を表していない」と言うフランス人作家で政治家でもあったアンドレ・マルローの言葉の如く、日本人は聖徳太子の「ともに凡夫(ぼんぷ)である」という思想によって、調和から生み出されるこころを大切にし、相手を傷つけず、円満解決する術を身に付けたのです。
 個と組織の関係にもこの思想は、反映されました。個人主義の欧米とは違い、日本人は「和の精神」と「場の倫理」から、自己と、組織を含む周囲との関係を重視します。
 また、「個人が共同体のために犠牲になる日本で、各人が全く幸福で満足しているように見えるのは驚くべき事実」と英国の作家ローレンス・オリファントが送った奇異の視線は、現在もサッカー等のスポーツを通して欧米から注がれています。しかし、これも「細部にこそ全体が宿る」との思想によるものでした。「和」を尊び、他者と組織への思いや気遣いを持つことにより、「細部である個人が全体そのものを抱合する」という価値観を以て、個も組織もともに高めていく智恵でした。
 別の視点から見ると、日本人は対極を成すものを対立させずに同時に受け入れ、両立する「日本的デュアルスタンダード」とも言うべき智恵を見出してきました。
 最も顕著な例が、異なる宗教であるカミと仏をどちらも排除することなく、ともに信仰する神仏習合の思想です。また、輸入文字である漢字と、そこから創造した日本独自の文字である「かな」を混合させて日本語の表記を充実させたのも、異質な文化を取捨選択して受容し、発展させた例と言えましょう。
 また、「和の精神」によって、他者や組織、自然・環境との調和を旨とする思想が加わります。こうして、日本人は異なる文化や思想を対立させず、一つの事象につなげ、それらの関係をことごとく相互共鳴させる世界を作り出したのでした。
 「ものづくり」における分業体制にも、この思想は脈々と息づいています。職人は自己の力を最大限に発揮した後、絶対的な信頼を以て他者に作業を引き継ぎます。異なる作業に従事するそれぞれが「日本的デュアルスタンダード」から一つの作品を作り上げることにより、個の総数以上の価値を引き出したのです。
 こうして、余分なものを捨て去った簡素な中にも豊かさを見出す「幽玄」や「わび・さび」、変化し続けるものの姿をそのまま受け入れながら、背後にそれを超えた永遠の真実を見る「無常観」等を通して、二分法を超えた「日本的デュアルスタンダード」を形成したのです。

「恩」と日本人

 また、忘れてはならないのが、復興に向けて手を差し伸べてくれた二百ヵ国以上の諸外国からの恩です。世界中の心ある人々が犠牲者を悼み、物心両面で支えてくれたことを日本人は忘れることができません。
 恩もまた、日本社会で最も重要なキーワードの一つです。ただし、西洋と異なるのは、恵みを受けた人だけではなく、施す人も喜びを持つという点です。欧米では神の恩寵、あるいは人から受けた恵、受恩に対する感謝の言葉しかなく、恩を与える側、施恩(せおん)の喜びを表す言葉は存在しません。
 さらには、日本では、恩を受けた側がその恩に気付く感恩の情から、喜びとともに施恩してくれた人に恩返しする報恩施と言う布施行(ふせぎょう)があります。
 そして、この関係は恩の受者(じゅしゃ)・施者(せしゃ)の間の双方向のみに留まらず、感恩(かんおん)の発露から周囲にまで拡大していきます。ついには恩の連鎖となり、恩が全方向に向かって限りなく増幅、反響し合う社会を築き上げたのです。
 罹災後、日本の多くの若者が被災者支援のため、すぐさま現地へ駆けつけました。彼らは意識せずして、日本人の心に宿り続ける他者を救済する仏教思想の「利他行(りたぎょう)」を実践し、感恩(かんおん)、報恩(ほうおん)の思いを響き合わせたといえましょう。

日本人の智恵

 日本人の智恵は、他者と周囲への配慮や気遣い、自己を自然に合一する思想によって育まれてきました。そして、神を絶対的な規範とする一神教的判断と異なり、山川草木(さんせんそうもく)からモノにまで霊性(れいせい)を見出す神仏習合の重層的価値観を拠り所とし、多元的且つ柔軟な世界観を創出したのです。
 和を尊び、恩を重んじ、他者や組織、自然との調和を第一義とする日本人の智恵が「クールジャパン日本人の智恵」として世界の人々に理解され、人類にとって不変の灯火になることを心より願ってやみません。

第13回蓮如賞記念公開シンポジウム

シンポジウム出席者

蓮如賞選考委員=梅原猛、三浦朱門、柳田邦男、山折哲雄。
蓮如賞受賞者=岩橋邦枝(いずれも敬称略)。

宗教、文学等から「日本人の智恵」を語り合ったシンポジウム
宗教、文学等から「日本人の智恵」を語り合ったシンポジウム



               

● 梅原猛氏 (哲学者)


               

 40代の頃、西洋哲学には人類を救う思想はないと判断し、日本研究に転じた。そして、見出したのが「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」の思想。我が国古来の神道と、大乗仏教が融合した日本独自の仏教思想で、生きとし生けるものはもちろん、草や木にも国土にまで仏性(ぶっしょう)が宿ると考える素晴らしい日本人の智恵だ。
 もちろん、西洋が生んだ科学技術文明には全人類が恩恵を受けている。しかし、これの根底を成した自然を征服することを善とする思想だけではこれからの人類に未来はない。自然と人間が共存する「草木国土悉皆成仏」の叡智が「日本発」の新たな国際社会のスタンダードとなるべきだ。大谷理事長が基調講演で指摘された通り、日本人自身が自国の文化を熟知し、誇りを持って、この思想を伝えていかねばならないだろう。
 さらに着目すべきなのは、親鸞の「二種回向」の教えだ。これは死後、浄土へ往(い)き、衆生を救うために再びこの世に還(かえ)ってくるという独自の死生観である。自らも救われ、その悦びをもって他者も救うという自利(じり)利他(りた)の思想が日本人のDNAの中に今も流れている。
 私自身もこの二つの思想を日本人の智恵として世界に広く伝えることを引き続き、使命としたい。


               

● 三浦朱門氏 (作家・文化庁元長官)


               

 生後すぐに神社へ初詣し、結婚式がキリスト教、葬儀は仏教でと言うのが多くの日本人の姿。江戸期までの民衆の大半は「人前結婚」だったが、明治以降、教会での挙式を真似て神前結婚式が行われるようになった。仏教も同様で、インドが源流の宗教に日本的感性を吹き込み、「南無阿弥陀仏」を称えるだけで成仏できるという、シンプルな教義、日本独自の宗教観を作り上げた。すなわち、重層的信仰、異なる価値観を違和感なく、受け入れるのが日本人の智恵だ。
 絵画を例に見ると、西欧はキャンパスすべてを埋め尽くさねばならない文化。一方、日本は水墨画のように究極的な題材のみを描いて余白の美を重んじ、空白の中に思想を込めた。無用なものは消して敢えて本質のみを描く日本人の美意識が、文化や生活を育んだ。そして、これが生きて死ぬこともはかなく、美しいと言う日本人の智恵に繋がるのである。
 また、文学では千三百年前に『古事記』や『日本書紀』『万葉集』と言った人類共通の遺産とも呼べる作品が誕生している。中国や朝鮮から学ぶだけではなく、独自の思想と文化から世界に誇る『源氏物語』等の傑作を生み出した。世界的にも最も古い文明国であり、アジアで日本だけに近代が根付いた要因となった。この歴史と日本文化の素晴らしさを私たちは再認識すべきだ。


               

● 柳田邦男氏 (作家)


               

 東日本大震災では被災地を歩き、生の声を聞いた。3.11以降の日本人の死生観と宗教との関わりを考えたい。まず、医療関係者や消防士等が、自らの生命を投げ打って被災者を救助する姿に対し、「人間、ギリギリになると他者を救うために自らの生命を差し出す。人間の崇高な精神を見た」との深い感慨が関係者から語られた。しかし、生命倫理の視点からは、救助する者も自らの安全を守れる社会構造を構築することが急務だ。震災に関わった人々のトラウマは深く、心のケアが大切だ。
 被災者は、しばしば故人の幽霊を見ると言う。これを科学や医学で否定するのでなく、宗教者が思いやりをもって浄土への旅だちを語っていくべきだろう。
 東北大学ではこのほど、死や宗教を複眼的思想で対応する「実践宗教学」の講座が開設され、臨床宗教師を養成している。災害や大事故の被災者救済に宗教者が積極的にかかわることが求められる時代になっているのだ。
 また、被災した子どもが生と死をどう内面化しているか、作文から調べてみた。「死を乗り越えたことで生きる自信がついた」と力強く書く子、特に「生かされている命を大切にして、生きて生きて生きまくります」という文中の「生かされている命」という表現は宗教的なキーワードであり、その子にそういう自覚を抱かせた大人たちの言語環境の大切さを再認識させられた。
 話は変わるが、蓮如賞では女流作家の高揚も果たしてきた。この賞の出方がクールジャパンと言える。
               


               

● 山折哲雄氏 (宗教学者)


               

 ドイツの哲学者・ヤスパースは、紀元前八百年間ほどの時期に孔子やブッダ、ソクラテス等が出現して人類の哲学が出揃ったとした。この考え方を日本にあてはめると三つのエポックがあることに気付く。一つ目が十三世紀で、法然、親鸞、道元、日蓮が出現して、人間一人一人の救いを説いた鎌倉仏教の時代であり、日本の思想哲学を方向付けた。続いて、国家を根本に据えた明治維新、そして、世界の中で日本をどう位置づけるかが現代の課題となる。
 鎌倉仏教の思想の中で最も着目されるのが「親殺しのような悪を犯した人間は救われるか」という問題を提起した親鸞だ。彼はその条件として「良き師につくこと、懺悔すること」を説いた。仏教思想に基づく人間に対する深い洞察であるが、これは世界に誇る日本人の智慧と考えてもいいだろう。
 また、日本人の美意識は、異なる価値観を両立させる二重構造を成している。文化の中心地・京都では王朝文化を引き継ぎ、華やかさと国際性を併せ持つ祇園祭を生んだ。
その一方で千利休や世阿弥、雪舟に代表される、王朝文化とは全く逆の「わびさび」や「幽玄」の美意識も育てた。「墨の世界」と「きらびやかな色の世界」という両極にある文化を両立させる日本人の智恵と美意識を今後も世界に発信する必要があるだろう。
               


               

● 岩橋邦枝氏(第13回蓮如賞受賞者)


              

 浩瀚(こうかん)な日記から現れてくる作家・野上彌生子は、私を最初に圧倒した怪物にあらず、堅実な家庭の人で、地道な勤勉努力の作家だった。彼女はこつこつと根気よく精進して、同時代の女の作家たちに先駆けて社会的、歴史的なテーマに取り組み、代表作の『迷路』『秀吉と利休』『森』の三大長編小説を六十代以降に書き上げ、数え年百歳現役を全うした。精神の不老長寿を見るような老年期である。そういう彌生子の人生と文業を辿る中で、ささやかながら一つの昭和女性史を地模様のように著したいという願いでこの受賞作を書いた。
 日本人には、虫の声をサウンド(雑音)と片づける欧米の人と違い、その音色に季節や「もののあわれ」、生あるものが必ず至る死への「はかなさ」等を感じ取る、独特の繊細な感性がそなわっている。そして、自然と融和し、虫の音や夜空の月やはかなく散るさくらを愛でる日本人特有の感性と情緒は、日本文学の詩歌や小説の中によく生きている。
 シェークスピアの五百年前に生まれたのが『源氏物語』で、その三百年前には防人(さきもり)から天皇に至る様々な階層の日本人が詠んだ、四千五百を超える和歌を集めた『万葉集』が編まれた。『万葉集』『古今集』の昔から脈々と生き続けてきた、この日本人の心の富は、テクノロジーが幅をきかせている今の時代にいっそう大切なものだと思う。
               

               

以上