一般財団法人本願寺文化興隆財団 理事長
大谷 暢順
はじめに
第16回蓮如賞を斯くも大勢の方々の参加を得て開催できた事は、主催者として望外の喜びであります。又、文化庁、京都府、京都市、京都商工会議所の後援をいただいた事に深く感謝致します。
本願寺文化興隆財団は日本文学、日本文化を国内外で高揚すべく、公益文化事業の一環として、この度のノンフィクション文学賞「蓮如賞」とフィクション文学賞「親鸞賞」を毎年交互に主催しています。ともに「日本人の心」を深く考察する作品に授与する、京都で初めての文学賞として、四半世紀以上に及ぶ実績を重ね、大きな反響を呼んで来ました。
又、他の文学賞とは異なり、授賞式だけでなく、選考委員の先生方と受賞者によるシンポジウムを毎年、開いてきたほか、平成20年には「日本人の智恵」を人類共通の叡智にと「京都文化マニフェスト」を京都市とともに世界に向って宣言しました。こうして、今年も亦、文学賞を通して皆様とともに日本精神と文化を再考し、その叡智を京都から世界に伝えて行きたく思っています。
我国の現状とこれから
さて、本年3月、私は『日本と日本人の明日のために』と題する本を出版致しましたが、それは今日我国を取巻く世界状勢が中々楽観を許さない問題に直面していて、この難関を切抜けるべく、我々は熟慮しなければならないのではないかと考えて、筆を執った次第です。
そこでですが、通常人間は個人として、夫々どのように人生を歩むべきか、考えを巡らせます。これは一国家についても同様であるべきでしょう。日本は今後どのように運営されるべきか、日本人として我々は考慮せねばなりますまい。
しかしこのように申しますと、これを不審に思われる向きもあろうかと思います。―人間は夫々希望する人生を歩めばよい、しかも現在は個人に一切の自由が保証されている時代ではないか、と―確かにその通りですが、皆さん、自分自身の過去をふり返ってみて、少年時代に夢見た事、あるいは社会人となって将来こう生きるぞと心に決めたその通りの人生を現在歩んでおられるでしょうか。
私は案外そういう方は少なかろうという気がするのですが。現実問題として、人間銘々に思った通りの人世は中々開けて来ない。多くの青年は理想に燃えて人世を歩み出します。しかし中年になって、過去を振返って見て、「自分は若い頃期待していたのと、まるで違った人間になってしまったな」と述懐する人は結構多いのではないかと思います。
一直線に進めない人間
何故こういう事になるかと言うと、人間は、中々一直線に前へ進む事はできないものだからです。これは生理的というか、肉体的にも、そういう構造をしているようです。何でも荒野の中を、独りで歩いていると、一向に目的地には着かないで、知らず知らず元来た地点に舞い戻ってしまうものだと言われています。人間の両脚の長さは、微妙に違っていて、目標物のない所では、真直歩いている積りが、足跡は円周の軌道を成して、何時か原地点へ戻ってしまう……実は私もそんな経験をした事があります。
八甲田山雪中行軍
そこで私はこの本を書いていまして、ふと思い出したのが、小学生時代に読んだ陸軍の八甲田山雪中行軍の話でした。皆様も御承知かとも思います―最近映画化されたそうですし―しかし一応繰返しますと、日露戦争の直前、一ヶ連隊の軍隊が、吹雪の中を八甲田山登頂演習を実施しました。ところが途中で道に迷ってしまい、思案の末、少数の将兵を選び、救援を求めるべく、これに、軽装で山麓へ急行させる決定をしました。ところが、長時間待った揚句、何とこの特命行動隊が、連隊の行軍列の最後尾に現れたというのです。つまりこの行動隊は、一直線に人里を目指して行った積りだったのに、目標物の全くない、真白な雪原の中を、大きく輪を描いて、元の出発点へ帰って来てしまったというわけです。かくの如く人間は、物心両面で、常に円周運動を繰返す生き物なのです。
業(ごう)(カルマン)
こういう事に関連して考えられるのは、「人は各々個々人固有の業(カルマン)を背負っている」と、佛法で説かれている事です。元々梵語のカルマンの訳として、この漢字が当てられたので、普通漢音でギョウと読むのを、佛語としてはゴウと言っています。これは人間の意志、行為、行動の総称です。
業(カルマン)という考え方は、太古以来のインドの思想で、釈尊もその教えの中に取り入れられたので、人間の意志に基づく心身の働きを意味しますが、それが後に何らかの報いを招く、と教えられました。
そしてこの業は、夫々の報いを受けて、それに従って、又新しい業を作ります。業から業へ、それは連鎖を成して果てしなく繋がって行きます。
更にそれは潜在的能力となって、過去から未来へ存続して、影響を及ぼし続ける力となるので、これを業力(ごうりき)と言います。
国家の業
釈尊はこのように人は人夫々の業(カルマン)を背負っていると説かれましたが、私はこれをそのまま国家、社会に当て嵌められると考えました。つまり国家は、一国一国夫々固有の業を背負って成立っていると考えてよいと思うのです。(この事を私は拙著『日本と日本人の明日のために』で能う限り詳細に具体的に述べました) つまり個人も国家も各々彼等の自由意志に基いて存在を続けていると思い込んでいるが、実際はこの自分自身、あるいは国家自身が造った業に動かされて、新たな業を造り、業から業へ連鎖反応を起して、つまり業力に操られて行動しているに過ぎないのです。
そうして人も社会も国家も凡そ自らの行動を正義だと確信しています。将来に向って、その正義の道は一直線に続いているように見えます。それをただ前進あるのみと人も国家も考えるのです。ところが豈(あに)図(はか)らんや直線の筈の道は次第に湾曲して円を描いて、気付いてみると、元来た所へ戻って来てしまうという事になるのです。
我国の近現代史を振り返る
以上の事を日本の近現代史に当て嵌めて考えてみますと、徳川幕府成立後間もなく鎖国令が出されています。これによってヨーロッパ諸国に植民地化される虞(おそれ)のなくなった我国は、二世紀半に亙る平和を享受しました。しかしその間、植民地争奪戦に明け暮れた西欧諸国は物質文明進歩に狂奔して、国力増強に努め、幕末に黒船を来航させて、我国を強圧的に開国させようという事になりました。
鎖国政策は我国に幕府が造った業であったと言えましょう。これが善業であったか、悪業であったか、それは一応措くとして、国内には一時攘夷論が沸騰するものの、結局開国を決定し、明治に入ると一路文明開化に邁進する事となります。
これは明治維新を遂行した人々の熟慮に熟慮を重ねた後の政策転換であって、これが日本を亡国の淵から救いました。こういう事を照顧(しょうこ)脚下(きゃっか)(脚下(あしもと)を顧(かえりみ)照す)と言いますが、これは一国の歴史でも、一(いち)人間の生涯の中でも為されなければならない重要な配慮です。即ち日本は危い鎖国の業から解き放たれたわけであります。
さて、明治日本は文明開化をモットーに、上下(しょうか)力を併せて国力増強に励み、やがて日清、日露両戦役に勝って、国土蚕食の虞を除くと共に、世界列強との平等条約を明治末年に締結するのに成功したのです。こうして列強と対等の立場に立つという明治維新の目的は一応達せられたわけです。
この時点で日本は再び照顧脚下して、爾後の国家運営方針を建てるべきだったと私は考えます。軍事力は保持しながら、諸外国と友好関係を増進する外交政策に専念すべきだったでしょう。富国強兵策は専ら国土防衛の為の策であった筈なのに、知らず知らず他国制圧政策に変貌しつつある事を当時の人々は充分に気付かなかった、つまり照顧脚下がなされなかったのです。先に申しましたように、正義の道は一直線に将来へ向って伸びていると信じていたところ、いつの間にか湾曲し始めていたのです。
そしてそれが最終的に昭和20年の敗戦となり、国土は明治初年の版図に縮まり、戦争放棄を誓約させられて、外敵の侵略には全く無防備な幕末の状態同様になりました。即ち文明開化は78年で円周の軌跡を画いて、原時点に復った事になります。
国土の主要都市は皆焦土と化し、国民は日々の食にも欠ける塗炭の苦しみに陷りました。しかしその中で日本人は再奮起して、ひたすら生業に励み、10年足らずで経済を建て直し、その後は日の出の勢で国力は強化して、やがて日本は諸外国が目を見張る世界第二の経済大国となる大発展を遂げました。我国の歴史上未だかつて経験した事のない大繁栄に恵まれたのです。これは日本が稀有の業を掴んだと考えてよいでしょう。
今こそ照顧脚下し新たな道を歩むべき
しかしここで又道は一直線にどこ迄も将来に向って進むのだと慢心してはならないのです。これは今迄何度も繰返して申した事ですが、個人も国家も社会も本来直進する事はできないものです。これも亦佛法で説く業というものでしょう。
案の定、年号の昭和から平成に移る頃から日本経済に翳(かげり)が見え始めます。一方外交上も日本は近隣諸国から、彼等はまるで競い合うように次々と難題を持ち掛けて来ています。まさに幕末、アメリカ、ロシヤ、イギリス等が代る代る黒船で日本の港に押し入って来た状況に酷似しているではありませんか。
今こそ日本も日本人も誇りを、自信を回復すべき時です。そして国民挙(こぞ)って、照顧脚下して、将来進むべき、新たな道を見付け出すべきではありますまいか。
我々の文学賞「蓮如賞」は、日本文化高揚を目的として設立され、今回を以ってめでたく25年目を迎える事となりましたが、此度もこの精神に則って『小林秀雄 美しい花』と言う、『蓮如賞』にふさわしい若松英輔さんの力作を見出す事ができました。後程選考委員と、受賞された若松さんのお話をゆっくり伺いたいと思います。どうぞ御期待下さい。
御清聴、有難うございました。
以上