「日本人の智恵」シンポジウム(平成24年10月4日)
「日本人の智恵」シンポジウム
日本文化の深淵に迫る鼎談
テーマ : 「日本人の智恵」
当財団は昨年10月4日、東本願寺東山浄苑で親鸞聖人750回御遠忌、財団創立100周年、浄苑創建40周年を記念したシンポジウムを開催しました。テーマ「日本人の智恵」で、狂言師の野村万作氏、萬斎氏(以下 万作、萬斎)、大谷暢順本願寺御法主台下(以下、台下)が日本文化の深淵に迫りました。
大谷暢順台下 昭和4年生まれ。東京大学卒、ソルボンヌ高等学院卒。名古屋外国語大学名誉教授。本願寺法主。 |
野村万作氏 昭和6年生まれ。早稲田大学卒。人間国宝。芸術祭大賞、旭日小綬章等受賞。 |
野村萬斎氏 昭和41年生まれ。東京芸術大学卒。重要無形文化財総合指定者。世田谷パブリックシアター芸術監督。 |
日本文化を縦横に語り合ったシンポジウム
・神佛習合と和の精神
台下 当財団では昨年4月と7月、フランス・パリ、スリランカ・コロンボのそれぞれで文化展「日本人の智恵」展を、京都市との共催、京都国立博物館、国際交流基金等の協力の下、開催しました。特にスリランカは日本・スリランカ修好60周年記念の中心事業として日本国外務省の要請を受けて実施。佛壇、西陣織、京友禅、漆器等、京都の伝統工芸と、それを淵源とする先進技術の作品の展示を通して、日本人の精神文化と思想を紹介しました。
萬斎 フランスはキリスト教、スリランカが上座佛教と聞きます。大乗佛教の日本とは違いますが、反応はいかがでしたか。
台下 フランスでは文化人をはじめ、各界の要人が来られ、作品とその背景にある精神に感嘆していました。特に仏教思想を真摯に求める姿が顕著でしたね。
また、スリランカは、独立後から日本仏教界と深いつながりがあり、教学や人事の交流も盛んでした。ただし、「神仏習合」に根差した日本人の根源的文化の紹介は初めてでしたので、現地の僧侶はもちろん、学生から政治家までが大いに関心を示し、何度も報道されました。
開展式で大統領の実弟にあたる大臣に佛壇の説明をしたところ、「我が国でも家庭用の礼拝施設はあるが、こんなに立派なのは見たことがない」との話でした。佛壇は、日本人の宗教観を凝縮したものであり、伝統工芸と芸術の分野でも最高峰の作品です。大臣も大いに関心してくれましたね。
展示は、日本人の心の核である佛教と神道が一つになった「神佛習合」の思想と、聖徳太子の「和の精神」を主テーマとしました。国内外でも初の試みでした。
洋の東西を問わず、文化や芸術の源は宗教ですが、この「神佛習合」の思想によって我が国のあらゆるものが培われてきたのです。両国ともに中央に佛壇を安置し、その周囲に神道、佛教、伝統工芸、先進技術の作品を展示して全体が一つの精神、「神佛習合」によって生まれてきたことを伝えたかったのです。
万作さん、萬斎さんは米国、フランス等で狂言を演じておられますね。日本人の精神は理解されましたか。
フランス、スリランカでの日本人の智恵展
万作 初の海外公演では、現地収入で復路の切符を買うという、厳しい時代でした。また、初公演のパリでは、松の絵が描かれた鏡の板を一枚紛失したところ、パリ在住の藤田嗣治画伯がわざわざ書いて下さったことも思い出します。
フランス人は、日本文化を受容する感性が豊かですね。私がフランス公演で演じた『梟(ふくろう)山伏』は筋が単純で、動きが面白いものですから、天井桟敷の学生たちは大喜びでした。
舞台でホウー、ホウーと梟の鳴き声をしますと、観客席からも同じ鳴きマネが飛び交う。カーテンコールの拍手の代わりに、ホウー、ホウーという声が返ってきました。外国の若者を引っ張っていけた自信が、自分の狂言の道を支えてくれたことを思い出します。
海外に行く前は、狂言は言葉の芸だから、外国人に理解させることは難しいのではと言われていましたが、違った。つまり、簡素であるから成り立ったという手応えを感じました。
萬斎 今はパソコンを使って、字幕を出すことが簡単にできるようになりました。そこでは、翻訳家が現代人の感覚に沿った表現にします。例えば、『附子(ぶす)』の中で砂糖を舐める場面がある。昔の砂糖は精製されておらず、どろどろしているため、「sugar」(砂糖)ではなく、「honey」(ハチミツ)と訳す訳です。
そこで、狂言を日本の伝統と独自性を持つ文化として紹介してきた一方、異文化との共通点も諸外国へ伝えねばと思います。1991年にシェイクスピアを狂言化した作品を海外で上演しました。イギリスの劇作家の作品を狂言の様式で演じることで、よりその違いが具体的になる。
ただ単に珍しいというだけでなく、狂言の手法によって表現が広がると、日本の芸術、文化への新たな認識が生まれてくるのです。相手の土俵にあがっていくことも重要です。
そういう意味では、今回の展覧会のテーマ「日本人の智恵」は、日本人の根源的な精神と文化を海外に伝えたという点で意義深かったのではないでしょうか。
大谷暢順台下
・「大いなる存在」の排除
台下 評価下さり、有難うございます。そもそも国家の品格とは、その国の歴史や文化に基づくものなのです。エジプト、ギリシャ、ローマ、ルイ14世のフランス、大英帝国も、その栄光は軍事力、経済力のみならず、その歴史や文化の偉大さ故です。
ひるがえって、日本文化総体の根底にあるものは何でしょうか。それは遥か太古の昔からの惟(かん)神(ながら)の道であり、6世紀半ばに、大陸から伝来した佛教です。この二つの教えは、互いに融合して神佛習合の教理を産み出し、深化発展し、「大乗の至極」と称される至高の境地に達したのです。
この精神は、社会のあらゆる分野で文化を産み出し、育成した。それは文学、芸術のみならず、政治、法律等の基調を成すに至っただけではなく、広く民衆の風俗、習慣、日常生活の隅々にまで浸透して、今日に及んでいると言えます。これこそが「日本人の智恵」であると思うのです。
万作 能の『芭蕉』の薫鹿之語では、僧が猟師から鹿を射て芭蕉で覆い隠したが、その場所を忘れてしまい夢と思って諦めたという芭蕉の故事を聞きます。
僧が月光の下、読経をしていると芭蕉の精が女体に化身して現れ、非情(ひじょう)草木(そうもく)の成佛を説き、諸法(しょほう)実相(じっそう)を詠嘆して舞を舞います。
そして、その猟師は殺生の罪を悟り「その時狩人思うよう、我無知にして、佛法をも求めず、佛の方便にてかようの夢を見るやと思い、これより弓矢を打ち捨て、殺生を好まん。後世一大事と心なれ。後には善知識になりたまいたると、承り及びて候」と結びます。
法華経の山川(さんせん)草木(そうもく)悉皆(しっかい)佛性(ぶっしょう)の教えから植物にまでも佛性があり、結縁を求めたという物語ですが、植物も人間も成佛を願っていく姿にも「日本人の智恵」があるのではと思います。
野村万作、萬斎両氏
萬斎 シェイクスピアは、科学の発展とともに人間がどんどん「増長」する中、「大いなる存在」を軽視し、自分という個が肥大化していくことに警鐘を鳴らしています。科学の進歩で豊かな生活を享受するが、「大いなる存在」を軽視し始めたことにより、何かが乖離し、精神的な病が増えているのが現代です。
今は余りにもモノが溢れて過ぎています。多彩な情報を得られるようになった故、何が正しいのかわからなくなり、底知れぬ恐怖を抱える。自分が矮小な存在であることを受け入れるとともに「大いなる存在」への惟(おも)いが必要でしょう。
・「超(スーパー)クールジャパン」の提言
萬斎 ところで、狂言では想像力に訴えかける手法、「間や静寂にこそ自由がある」との言葉から、制限された空間に美意識等の価値観を見出す文化があります。仏教でもそういう思想はありますか。
台下 鎌倉佛教では、8万4,000の法門とされる経典の中から真実だけを選び取る作業が行われた。私たちの浄土門では、『浄土三部経』のみで、禅宗は専ら座禅をする「只管(しかん)打坐(たざ)」。日蓮宗は『法華経』の「南無妙法蓮華経」だけを唱える。徹底した捨象が日本佛教の特徴です。
万作 日本文化という点で言えば、その根源となる言葉が近年、かなり乱れている。学校教育で正しい日本語を学ぶ習慣をつけて欲しいですね。狂言は言葉の芸ですから、全ての言葉をはっきりと言うことから教えねばなりません。
ある学校で狂言を演じた際、先生が「うちの生徒は、平家物語を音読させているから、同じ古典も耳から介して分かる。声を出して読むから身に付く」と言っておられました。
また、私の子供の頃、国語の時間は、「読み方」と言って本を大きな声で読みました。言葉は、文化の中心且(か)つ出発点なので大事にしていかなければと思います。
台下 今までのお話の通り、日本人の伝統的な思想・哲学や精神、文化、芸術、芸能である「日本人の智恵」を体系的にまとめる事業を外務大臣の要請により、京都市等と始めています。
これを「超(スーパー)クールジャパン」と名付け、日本人自身を含め、諸外国へも日本の歴史や文化を正しく伝え、なお且つ、国際交流の向上に資する新たな知的財産を発信する計画です。混迷する国際社会に向け、「日本発の新たな叡智」として、人類の新たな灯火になることを期待しています。